島流しの第1号は?

八丈島といえば、どうしても時代劇に登場する2本線の刺青がはいった人を想像してしまいます。
しかし、実際は政治犯等が多く、島内の行動はお構いなし
かえって、江戸の文化を伝える人として島民と融合して生きてきたようである
その流刑者第一号が、岡山藩領主の宇喜田秀家であった
関が原の戦いで、西軍に味方した秀家は家臣とともに、八丈流しとなったのである
その後、明治2年に許されるまで、一族は250年間八丈の地で生きてきたそうである
そして、秀家の奥方があの有名な【豪姫】だったそうです
どうしても、ここに来たかったのは、岡山県民の血がそうさせているのでは、と感じさせられました